私は何らの大層な専門家では無いが(圏点をも専門とする分野が何かはそもそも不明だが)、そう言う私でも、この様に圏点を頁中に散りばめた文献は、少なからず目にして来た。なので、異様とは思わない。戦前の日本に於いては、珍しくは無い現象である。これを異様と思うのは、立花氏が戦前の文献を、広く読んでいない証左であろう。
幾つかの例を提示する。
北村透谷

内村鑑三

徳富蘇峰

かと言って、戦前の誰もが圏点を多用乱用していた訳では無い。珍しく無いが、極めて一般的だ、と言う訳でも無い。これは特に圏点乱用について言える。多用ぐらいなら未だ強調の機能を果たし得るが、乱用して、頁が圏点に埋め尽くされては、文中の何かが特に強調される訳でも無く、文書全体が不断に強調される。「しかと読め、聴け!」と延々と請願されてる印象を受ける。言わば、情熱の証かのようなのだ。
しかし、改めて言うまでもなく、情熱的な誰もが圏点を乱用した訳でも無い。私は想う、蓑田青年は、圏点乱用する或る限られた数の、そして或る限られた分野や状況の著者著作を読んで、「圏点乱用しても良いんだ」もしくは「こう言う時は圏点乱用も相応しいんだ」と言う観念を持ったのだ、と。圏点乱用を追う事によって、蓑田青年が何を読んでいたか、そして、その読んでいたものは如何なる思想史的な背景を有していたのかを解明する別の視点、別の糸口になり得ると思う。その思いに基づいて、このブログでは、圏点乱舞せし記事論説やその著者を紹介分析して、明治と大正の時事思想の大海に出る。立花、蓑田、圏点は、明治大正へとの糸口であり、明治大正は昭和平成ー現代へとの糸口である。

